個人的な日記

ふりかえりとか、きもちとか。

人にほめられると、やる気が湧く

 

気分の波に飲み込まれてばかりいたけど、

自分を制御できるようになった。

だいぶ。

 

 

いちいち気にすることをやめると

だいぶ、楽になる。

 

目に入るもの全てが気になって

あれこれ言ってしまったり

考えすぎてしまったり

世話を焼きすぎてしまったり

 

子どもの頃からの特徴、個性のひとつ

周りの方々には

申し訳なく思っている

 

 

それすらも気にしすぎると

外に出られなくなったり

誰かと交流することも出来なくなる

 

 

迷惑に思われていると

なんとなく気づいた時は、

すぐ控えるようにして反省する

 

できるだけ、繰り返さないように気をつける。

 

 

たまに、大失敗をする。

 

大失敗をして、

一生、油断できないと思った日があった。

 

 

それからは

前向きに「諦める」ことにした。

 

反省は、する。

 

あとは、どちらのせいかなどを考えてモヤモヤせず

縁が無かった、というようなかんじで

割り切ってみると

それほど落ち込まなくなった。

 

一番良い方法は他にあるかもしれない。

今は、これが自分を楽にしてあげられる方法。

 

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数ヶ月、仕事でいっぱいいっぱいになって

そこまで深く考え込む余裕がなかったのも

助けになっていたかも。

 

 

でも、たまに自分を解放したり

きちんと向き合う時間を作らないと

ただ強がっているだけの人になりそうなので

そこも工夫したい。

 

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私の場合は

仕事で本当に疲れた時は

電車に乗ると、涙が溢れてくる。

 

涙が出たら、

「ずっと頑張りつづけてたんだなあ」と受け入れて

できるだけ周りに気付かれないように

こっそりと、涙を出し続ける。

酷い時は、夜中までずっと涙が出る。

次の日は、目が腫れているので

できる限り仕事に集中して、キョロキョロしないようにしているけど(笑)

 

最近は、仕事を滞りなく終了させることに

振り回されている気がしていた。

 

まあ、なんとかなっているのだけれど

どこかで気持ちが煮詰まって

なかなかモチベーションが上がらず

空回りしている気持ち。

 

 

判断することがとても苦手だけれど

以前より、判断に迫られる場面が沢山出てきて

なんとなく息苦しくなっていた。

 

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そんな中、先日、苦手な作業があって

すごく時間がかかり

自分の生産性の低さを感じた。

 

結構、落ち込んでいた。

 

でも、いつも良くしてくださっている方から

よく出来ていることを褒めていただいた。

 

とてもシンプルだけど

そのシンプルなことばが、素直に心に響いて

それまでのしかかっていた何ヶ月分の重荷が

スーっと飛んでいったような気持ちになった。

 

感謝とともに、やったるで!まだまだいける!

という気持ちも湧いてきた。

 

不思議。

 

自分の事って、自分よりも

他の誰かのふとしたもので

あっけなく解決することがある。

 

勿論、最後は自分なので

甘えてはいけないけれど

自分であれこれ考えすぎると

簡単な答えが見えなくなってしまう。

 

他の方々も暖かいことばをくださって

本当に有難かった。

 

人と関わることは

ときに面倒になる時もあるけれど

なんでもかんでも独りでは上手くいかない。

 

この環境を大切にしたいと思わせてもらえた。

 

私もいつか、こんな風に

誰かの役に立てたらいいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

個性とか特徴とか

 

 

長所短所は、誰にでもあるもの

 

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ある分野に長けている人に対して

素晴らしいなと思う。

 

更に、普段の振る舞いも素晴らしい人が

時々現れる。

 

人として、とても憧れる。

 

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誰かとコミュニケーションをとる時

その人の言葉や様子を受け取る努力をしているつもり。

 

勿論、勘違いもするし

時には感情的になる。

なかなかないけど

私は本気で怒ったら、色々すごい(笑)

 

私は子どもの頃から

人間関係で

空気が読めていないと言われたり

距離感がおかしいと言われるような

少し困った特徴があって

そこに性格も重なり

人から遠ざけられることも多い。

 

人から言われたこと、教えられたことを

わかったつもりでいても

内容によっては

すぐ忘れたり、ミスを繰り返す時がある。

 

逆に、少ない情報や空気だけで

予想以上のことをする場面もある。

 

偏りが激しい。

 

 

今の職に就いた後

仕事上でこの特徴について

とても困惑したことがあって

2年前、検査を受けた。

 

検査は、複雑ではないものの

あらゆる角度から特徴を調べるために

色んな形で問題に答えたり、何かを作ったり、と

時間のかかる、根気の要るものだった。

 

集中力がどのくらい続くか、も

診られていたのだろうか。

 

結果的には、

思っていたより、問題点となるものは無かった。

ホッ。

 

ほぼ、問題あるように見えないし

言わなければ誰にもわからない。

一見、滞りなく過ごせている。

 

でも、分野別で

極端な結果が出ていたのも確か。

そこはしっかりと指摘された。

 

何かの名前を付けて診断はしない。

ただ、個性として受け入れておいた方が

これからの自分を楽にできるかもしれない。

 

という感じで

 

「工夫しつつ、

これまで通り過ごして問題なし」

 

という診断だった。

 

少し極端な面があることを

自分でも忘れないよう、

心の片隅に置いているつもりだけど

ついつい、失敗してしまう。

 

とても大切な友達を傷つけてしまい

毎日、何度もその時のことを思い出しては

気が遠くなって、自分の浅はかさを思い知らされる。

 

 

もしかしたら今、周りで

嫌な思いをしている人がいるかもしれない。

 

 

でも、気にしすぎると何も出来なくなる。

誰にでも人間関係は付きまとうものだし、

個性や特徴を言い訳にはしない。

 

もし何かあるなら、

性格に問題があるかもしれない

もっとしっかりしたい。

 

謙遜でも自虐でもない

客観的にそう思っている。

 

短所を受け入れるのは

勇気が要るし、とても胸の痛む作業だ。

 

でも、できるだけ気付いて受け入れたい。

 

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なんかこの人、少し違うことを言っている

しつこい

うるさい

面倒臭い

 

こういうことを言われて

みんなの目が冷たくなり

学校では何度も仲間外れにされた。

社会に出てからも、思い返すと

いじめられはしなくても

似たような空気になったこと、何度かあったかも。

 

空気は強烈

そういう空気を感知するアンテナの感度が上がった。

 

基本的には鈍感

逆に感度が良すぎて困る時もあるけれど、

感度が良くても、対応する力が無くて

失敗を繰り返してしまう。

 

 

誰かから「嫌だな」と思われることは

辛い。

 

でも、自分が相手にそう思わせてしまうことは

もっと辛い。

 

ごめんなさい で解決することばかりでは無い。

最近、特にそう思う。

 

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10年は経っただろうか

子育て仲間のママが亡くなった時に

 

伝えたいと思ったことは

その時に伝えておきたい

 

と思う気持ちが強まった。

 

仲間外れを経験した後、

「自分の意見は言わない方がいいし

意見を持たなければ苦しくない」

という気持ちを持つようになって

人の話に頷くだけの頃があった。

 

そんな風に無難にこなしていた為に

仲間の死の際、深く後悔した。

 

ちょっとした会話でも

嬉しいとか楽しいとかすごいとか

感じたことを沢山伝えるようになった。

 

「ありがとう」とか「これはすごかったね」

のような、単純な言葉しか言えないけれど

これが私のコミュニケーションだ。

 

また、

それ自体が迷惑と受け取る人もいる

ということも勿論、知っている。

 

それについては、気付かせてくれた人へ

心で「ありがとう、今までごめんなさい」と

呟くだけにした。

 

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人によって、場面によって、

何が正しいのか

わからなくなる時がある。

 

そういう時は、

アンテナが何かを感知したら

心の中だけで言葉を動かす。

 

最近も、ふと言われた言葉で

私の言動、うるさかったんだな、と

反省したばかり。

 

なんとなく言っただけの言葉かもしれないけれど

 

ごめんなさい。

 

もう少し工夫しないといけないな。

 

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でも、私が

何でもかんでも悪いとは思わない。

 

時々、誰かの言葉や態度に辛くなると

自分の困った性格を棚に上げてでも

一言、申し上げたくなったりもする。

 

仲間はずれのような空気があると

すごく辛い。

もし、大人がそうしていたら

本当にやめてほしい。

 

ノリが違うとか

気が利かないとか

色々理由はあるかもしれないけど

集団で何かするのは良くない。

 

大人になっても

こんな空気があるのって、恥ずかしい。

 

自分は大丈夫だろうか。

自分も、

結果的にそういう空気を出していないだろうか。

 

完璧にはなれないけれど、

思いやりのある人になりたい。

 

誰にでも、長所短所は、ある。

生かし方次第。

 

 

文字を追えなくなって

 

 

久しぶりに、文字を追った。

7月10日。

 

 

雑誌「音楽と人」の今月号は

あの歌手が表紙で、ロングインタビューが掲載されている。

 

私は18年、途切れることなく

あの歌手を夢中に追いかけていて

18年間の自分を思い出し重ねながら

この記事を読めたことを本当に嬉しく思います。

 

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私は読書が好きだった。

図書館や本屋にしょっちゅう足を運び

本を触ること自体を楽しむ。

 

 

10年くらい経つだろうか

鬱を患ってから、だんだん文字を追えなくなった。

 

たまには読む。

でも、気持ちが他のところにいってしまうような感覚になる。

本の世界に入っていきたいのに違う感覚が邪魔してくる。

それはもう読んでいないことと同じ。

 

 

どうにかして読むこともあるけど

そんなのはひとつも楽しくない。

 

 

 

読書好きの友人の影響で

ゆっくり、読んでみる時期もあった。

 

 

どんなに忙しくても

電車の中や待ち合わせまでの隙間時間など

少しでも時間ができれば、本を読みたくて

いつもバッグに文庫本を入れていたのに

最近は、読みたい本がただ積まれていくだけになった。

 

何もすることがなく

ただダラダラと過ごす時間もあるのに

なかなか本を読めない。

 

 

鬱になった後、できることとできないことに

極端な差が出た。

物事を理解するのも相当時間がかかる。

頭の中で組み立てて考える力が

かなり衰えた。

 

 

7年前、専業主婦からパート主婦になる。

これを機に、働くことで

少しずつ衰えたものが矯正され始めた気がする。

 

メンタルの上がり下がりを緩やかにするのは

とても難しかったけれど

現在の自分は、8割くらい回復したと思う。

 

回復できないであろう部分もあって

それは諦めつつ、個性として受け入れ

あまり自分は鬱だったから・・・というようなことも、思わないようにした。

 

過去は、動かせないし

今から良くしていけばそれでいい。

 

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音楽と人」のあの歌手のロングインタビュー、

本当にロングだった。

 

 

こんなにあったら何回かに分けないと・・・

まずは読み始めよう。

 

 

まずは写真を眺める。

あの歌手はとても良い表情をしていて嬉しい。

あの歌手は、悩み、孤独、色々抱えやすい人だと思っている。

でも、強い信念を持っている印象もある。

 

両面の相乗効果でものすごく良い作品を作ったり

ライブパフォーマンスに大きな感動がある。

だから癖になって目が離せないのかも。

 

 

インタビューの中のあの歌手は

心から、本当にそう思ってきたんだろうなと受け取れる言葉でしか話しておらず

その強さと繊細さと

あっけらかんとしたところや、ひょうひょうとしたところ

可愛らしさ、全部が今までこちら側に届けてきてくれたことが

バチッと寸分の狂いもなく一致している気持ちになった。

 

6月に発表された新しいアルバムを

最近は何曲か厳選して聞きたい順に聴いていて、

でもこの時は、

一曲目からあの歌手が選んで決めた公の曲順で聴きながら

記事を読み始めた。曲タイトルや歌詞が時々出てくる。

 

2年間、新しいアルバムを心待ちにしていて

アルバムのタイトルが発表された時に

「またやってくれたな、すごいタイトル・・・!」

と動揺して、

 

収録曲が発表された時には、曲タイトルを眺めながら

何時間も曲のイメージを膨らませて、

 

今はもう、その新しい曲をすべて聴いて

何度も聴くたびに新しい発見をしたり

「これを歌えるようになるには」と考えたり

実際に歌ってみて

 

「やっぱ難しいわー、あの歌手、天才・・・」

 

とため息をつく。

 

これだけ動揺と感動を貰い、それを楽しむことができる。

楽しく振り回されている自分を楽しんで

更に振り回して欲しいと思う気持ちが

18年続いて、まだ飽きないし終わることは無いと確信する。

 

その上で、20周年を振り返りつつ

インタビュー記事を読んでいたら

感動をしすぎてしまった。

 

涙が勝手に流れているなぁ、と気付いた。

そして、無我夢中に文字を追えている自分にちょっと驚いた。

 

自分自身の鬱の思い出も重なっていたかもしれない

誰も理解してくれないとしか思えず

自分自身がどうなっているかわからず

水の中にいるような気味の悪い感覚

そんな時も耳の奥であの歌手の歌声が

絶対的存在として、毎日隣にいてくれた。

 

今は水の中の感覚は皆無となり

自分自身のことを把握し、回復して

色々あったし、今も色々あるけれど

あの歌手が絶対的存在で隣にいることは

全く変わっていない。

 

そういう背景を意識して文字を追っていると

あの歌手への感謝も便乗して

涙が、どはどばと出てきた。

 

 

普段は、あの歌手と私の物理的距離が果てしなくて

時々、あの歌手が実在してるのか不安になるけれど

飛行機の上から、雲の下の地形を眺めていると

 

『あなたもこの空の下 同じ日差しを』

 

という歌詞が浮かんで

 

『雨が止んで 晴れるように』

 

というのも浮かんで、

あの歌手も私も実在していて

お互い同じ空をいつも見ていて

色々あるけど、楽しい時もあるんだ

目の前のことだけを見ていてはつまらない

 

と確信できた。

 

 

確かこの歌詞の曲は

わが子が紙パンツでウロウロしている時代のもので

 

あの歌手は、かなり昔から

私が今気付いたことを、既に気付いていたのかな、

 

いつ作られた曲でも、あの歌手は

新鮮に、私の心を読んでは教えてくれるんだな、

 

これからも悩んだり困ったりしても

嬉しい時も、あの歌手は変わらず隣に居てくれるんだろうな、

 

そんな確信もした。

 

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そして明日、インタビューに出ていた写真と同じクリームソーダを飲もうと思う。

 

同じ格好では、飲まない、絶対。

 

あれは、お行儀が、悪い。

 

 

記録的大雨でなかなか入手できず

空港で思いがけず購入することが出来、

そうだったからこそ

『花風』の歌詞に教えられる機会もいただけた。

窮屈なLCCの座席でも、壮大な世界が広がることも学びました。

 

 

あの歌手と、今回のインタビュー記事を書いてくださった

ライターの金光裕史氏に深く感謝いたします。

 

アパートからの引越し

我が家は、東京大学付近のアパートにあった。

 

かなり個性的な作りをしており

他の一般的な部屋と別に

今で言う「メゾネットタイプ」になる。

 

アパートに入り、その一般的な部屋勢は

右側の階段を上がっていくけれど

我が家は、左側に玄関となるドアがあった。

左側は、1~2階が我が家で

もしかしたら、

右側の階段で3階からはすべて

一般的な部屋勢のエリアだったかもしれない。

 

6歳までしかいなかったので

記憶がハッキリしていない。

でもたぶん、そういう造りだった。

 

玄関ドアを開けて靴を脱ぐ場所がある。

目の前は部屋がひとつ。

右を向くと、2階への階段がある。

とても急な傾斜で、幼稚園に入るまでは

尻もちをつかずに降りたことがないのではないだろうか、

降りれないと泣いては母におんぶされ、

母と尻もちをつきながら降りた記憶が複数ある。

 

兄も、何度か泣いていたかもしれない。

 

2階には、記憶では2つ部屋があって、

他には台所やリビング、トイレがあった。

 

お風呂は、無い。

 

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本郷のかねやすから湯島天神の方向へ歩くと

銭湯があり、そこに通っていた。

日曜日の夜は、家族で銭湯に行くのが

本当に楽しみだった。

でも、さて、週に何回通っていたのか。

その辺は覚えていないけど

きっと、毎日ではなかったはず。

 

 

湯島だけでなく、

菊坂の下にも銭湯があったので

とっかえひっかえ通っていたと思う。

銭湯は、湯上りのフルーツ牛乳

壊れかけの体重計がふっと浮かぶ。

今はこういった場が少なく

エンターテインメントな温泉が増えてしまった。

 

 

西鉄大牟田線の線路沿いに

昭和のにおいぷんぷんの銭湯があって

通勤でその姿を見る度に

湯島と菊坂下の銭湯を思い出す。

 

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私と兄は、夜になるとリビングに布団を敷いた。

テレビを観ながらゴロゴロするのは最高で

眠れない時は、兄と、布団を秘密基地に見立て

バスタオルで壁を作り

なにかを叫びながら冒険ごっこをした。

 

 

姉は、一番奥に自分の部屋があって

唯一の記憶といえば、

窓の外に大きな蜂の巣があると

姉が大泣きしている場面。

 

本当にすごく大きな蜂の巣だったから覚えている。

 

あまり広くはなかったけれど

夜泣きか何かで、台所で父に抱かれ

宇津救命丸を飲まされたことと

 

母の帰りを待ちつつ

家のいろんなところに隠れて寝たふりをし

母に布団まで運んでもらうのを楽しんでいたことと

 

台所のシンクのおもちゃとともに

台所のシンクに入れられ

ままごと遊びをしたことや

時々、その最中に、窓の外から姉の友達が

 

「こたえちゃーん!」と何度も呼ぶので

 

「わたしのなまえは『たえこ』なのに!」と

窓を開けて憤慨したこと、あとは

小学校の入学式を迎えた兄に母を独り占めされ

玄関で号泣していると

階段の上から仁王立ちした父にうるさいと怒鳴られ

更に泣き嘔吐する私を姉が介抱していた、

ということ以外はあまり覚えていない。

 

私はすぐ泣くので、みんな大変だっただろう。

 

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そんなアパートから、引っ越す時がきた。

 

父が、

アパートから徒歩5分くらいのところにある

中古の一軒家を、キャッシュで購入した。

一括現金払いだ。

 

引越し屋へ頼むことはせず、

焼鳥屋の仕事を終えた後の時間を使って

母と荷物を運んでいたそうだ。

 

父と母は他にも色々と、本当にすごい。

母は、家事育児仕事引越し・・・ヘトヘトだったはず。

尊敬しかない。

 

私に同じ事は、出来ない。

 

 

3LDK、風呂つき。

 

父は酔っ払うと何度も引越しの話をした。

 

「他にも広くて安い家があったんだ。

でも、ここに決めたのは、風呂があったからだ。

俺は風呂のある家に住むのが夢だった。

ここで初めて風呂に入った時

涙が出るほど、本当に嬉しかったんだよ。」

 

 

追い炊きはできず

5人家族なので、水道代は凄かっただろう。

 

日曜日は父と兄と、

ぎゅうぎゅうになってお風呂に入った。

父がイガイガのタオルをぎゅっと絞って

私の耳を掃除するのはとても嫌だったけれど

父の夢だったお風呂つきの家は

私にとっても夢のような世界だった。

 

 

そんな夢の家、

現在、Googleマップで見ると

買い物へゆく母の背中がバッチリ映っている。

 

あの歌手のデビュー曲

 

音楽が大好きです。

 

聴くのも、歌うのも、演奏も、作るのも

どんな分野も好き。

 

演奏や制作なんてできないけど

音楽 ということばがすき。

 

 

私は、自己紹介みたいな場面では

あの歌手の名前を出し、

ファンである事を明確に話します。

 

シチュエーションによっては

「酷く、病的に好きである」ことも発信する。

 

それを相手に押し付ける気は無い。

取られたくない、みたいな気持ちも無い。

不要であればスルーしていただきたいし

もし興味があれば、

少し、線の内側につま先を入れるように

そっと、教えていただきたい。

 

急に線の中に飛び込まれると、困る。

嫌だ、というのではなくて

私の中にある

あの歌手の好きな部分が一気に大放出して

飛び込んだ側の方々が怪我をするから。

 

あの歌手は、りんごとか、ひかるとかの、

あの辺で出てきた女の子です。

 

最初は、知りませんでした。

知ったのは、3枚目のシングル

なつのせいざにぶらさがる歌、です。

 

多数の皆さんが

あの曲か、もしくは

すこし背の高いおでこに耳をよせる曲か

テトラなんとかにのぼる曲を

デビュー曲と錯覚しがちです。

 

代表曲として、テレビでよく歌われるから。

 

実際には、といれの はなこさんの映画の

主題歌となったのが、デビュー曲。

 

深田恭子さんのデビュー曲「最後の果実」は

同じ方が手掛けていて、

曲調、仕上がりが似ています。

 

深田さんのデビュー曲のデモテープは

あの歌手が歌を入れているとか。

そして、コーラスで参加してるとかしてないとか。

 

あの歌手は、当初

この曲だけの契約だったそうなのですが

地元からじわじわと広まり

沢山の人を魅了し続けて

今年、20周年を迎えました。

 

デビュー曲以外は

歌詞、作曲を全て自分自身で手掛けており

そのためか、あまりデビュー曲を前に出しません。

 

でも、私はとても素敵な曲だと思うし

あの歌手のヴォーカルの良いところを

沢山感じられる曲だと思います。

 

私は何か専門的なことを言えるレベルではなく

的確に細かくウンチクが言える訳ではないので

コード進行がナントカとか、わかりませんが

 

出だしの

 

  とりがとべないなら

  気球も空を舞えない

  あなたがないてたら

  あたしもわらえないんだ

 

この部分でいうと

「舞えない」の「ない」とか

「あなたが」の「たが」とか

そのあたりの声と節回しは

何回でも聴きたくなる部分となり

巻き戻しまくるので

なかなか先に進まないといった悩みも生まれました。

 

 

そしてなにより、あの歌手のすごいところは

フェイク。

 

 

別名、「あいこ節」。

 

 

フェイクだけを集めたCDないかな

って思うくらいにゾクゾクします。

 

 

うぅ〜、イェェエエ〜ィ、みたいな

そういうやつですが

 

正直、あの歌手が何を発音しているか

よくわかりません。

文字に起こせない発音で

メロディを、ずるいくらいに格好よく

他に無い独特な方法で振り回します。

 

 

デビュー曲で特徴的なのは、サビの

「あーうぅーーー」と裏声になるところ。

 

 

デビュー曲のことは

「あーうー」という表現でも

ファンにはちゃんとわかります。

 

 

以前、シングルの発売日に

ニコ生で放送があり

ライブやMV垂れ流しタイムに

本人がリアルタイムでコメントをしてくれたのですが

デビュー曲のこの部分のときに

 

あの歌手「いくでー!」

 

私たち「あーーーううぅーーーー!!」

 

 

みたいなコメントで

画面があーうーだらけになって

私たちもあの歌手も

へんな高揚感でひとつになりました。

 

これは、私の中では

「あーうーの流れ星」という名前の思い出です。

 

また、去年、

あの歌手の親御さんのお店で

この曲が流れ、みんなで

「あーうぅーーー!」の大合唱をしたことも

私の一生の思い出。

 

 

今までしてきたことが間違いではないと

言いきれない曲や

 

海に浸かりながらピアノで

もっともっと、と奏でる曲もいいけど

 

デビュー曲も、大変素晴らしいので

是非とも、沢山の方々に

あーうー砲をお見舞されて欲しいし

深田さんの曲との聴き比べも体験していただきたいです。

 

 

あーうぅーー.+*:゚+。.✩*॰¨̮

 

 

4歳児が駄菓子屋で三千円を使う④完

 

目の前に、千円札が三枚あった。

 

価値は、知らない。

 

4歳だから。

 

 

それを使うと

お菓子やお豆腐が買えるのを知っていたので

うさぎや」に行くことにした。

 

 

うさぎや」は、子どもがてくてく歩いて

10分かからない距離にある駄菓子屋。

 

 

あの頃の私には

コンビニくらいの広さに感じたけれど

たぶん、めっちゃ狭かったはず。

 

 

うさぎや」に行くと

餅太郎がある。くじ引きもある。

千円札を出し、おつりを貰うのを繰り返す。

 

何を買ったか、詳細は覚えていないけれど

 

あーこれもすき、あー、それ食べたい。

お兄ちゃんには、これ。

 

 

そういう感じで、かなり長く滞在した。

 

 

お店のおばちゃんに

何か言われたけど、よくわからない。

たぶん「こんな時間まで、こんなにたくさん

大丈夫なの?」的なことを言われていたはず。

 

 

ふんふん、と機嫌よく遊び

なんとなく「やばい」空気を察した記憶がある。

そして、スーッと、帰った。

 

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私は結構、幼児時代から

ふわっと生きていた割には、そういう

ヤバめの空気に対するアンテナの性能が良かった。

 

 

嫁ぐ前、幼稚園の先生とお会いしたことがあり

私がどんな印象だったか聞くと

 

「恥ずかしがり屋さんだけど

   みんなよりずっと大人っぽかった」

 

 

 

(´-` )

 

 

 

 

ちなみに、小学校1~2年の担任の先生

めっちゃ怖いけど、大好きな先生。

 

我が子が小学校に入る時に買った

「小学1年生」のDVDに収録されている

 

学校って、どんなところ?探検してみよう!

 

みたいな学校生活の紹介映像で

校長先生になった先生をみかけた。

 

先生が、入学式で挨拶をしていたので

何度も再生した。

 

その後、小学校を調べ、電話をかけて

丁寧にごめんなさいをしながら

「こういう経緯で先生をお見かけしたので

是非お話をさせて戴きたい」とお願いしてみる。

 

小学校には

旧姓(ちょっと珍しい)だけ名乗ったのに

数分後、

 

 

「たえちゃん!!どーしたの!!げんき?」

 

 

下の名前wwwwww

 

 

その先生からは

 

「ものすごく引っ込み思案だったけど

音楽の時間だけは、前に出て輝いてたねー」

 

やるときゃやる、

やれないときは何ひとつやらない子、です。

 

 

 

(昔は引っ込み思案だったことを

そっとアピールさせていただきます)

 

 

ピアノの先生は

お姉ちゃんには怒鳴り散らしてたけど

私には1度も怒りませんでした。

 

発表会ではみんなの前で

 

「彼女は、練習をしてくれないんです。

レッスンの時に、練習していないのがわかります。

でも、何故か彼女には怒れないんです。

発表会ではきちんと弾けちゃうから。」

 

と、まとめて下さいました。

 

自分でも、今でもそういう

ムラがあるというか

なんともいえない嫌な面が拭えず

人の顔色を見てしまったり、

逆に空気の読めないことを言ってしまったり、

よくわかりません。

 

直したい。

 

 

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うさぎや」で豪遊し、帰宅し

いつも通りに生活をしていましたが

最終的には

 

「お金がなくなっている」ことと

 

うさぎやから連絡がきた」ことで

 

 

かなりの時間、

鬼になったお母さんに、説教をされました。

 

お母さんが

うさぎや」に謝りに行ったような、行かなかったような。覚えてない・・・

 

あれから、「うさぎや」に行くのは

4歳児としてもちょっとアレな気がして

しばらくは足が遠のいたと思います。

 

学校の向かいにある、

通称「学校前」にはよく行ってましたが。

 

 

タイトルだけで考えるととんでもないし

経緯を知っても本当にとんでもない話ですが

 

親が、私やきょうだいを適当にあしらっていた訳ではないし

私たちも、何か悪さをしようと

企みを起こすことなんて一度もなかったことを

ここにきちんと記しておきたいと思います。

 

ただ、「偶然」とか「つい、うっかり」が

本当に取り返しのつかないことに繋がることも

ちゃんと知っておきたいです。

 

 

学んだこと

・知らないお金を勝手に使ってはいけない

・そもそも、ひとりで勝手に出かけない

・その辺にお金を置きっ放しにしてはいけない

 

 

【おまけ】

調べたところ、「うさぎや」は廃業となっていました。

みんなを楽しませて下さった

うさぎや」のおばちゃん、有難うございました。

そして、心配させてごめんなさい。

 

 

4歳児が駄菓子屋で三千円を使う③

 

駄菓子屋で豪遊した4歳児(私)を育てた

お母さんのはなし。

 

私は泣き虫で、8つ上のお姉ちゃんとは

すぐに喧嘩をする仲だった。

 

喧嘩が酷くなると、

焼き鳥屋に電話をしては泣き叫び

度々、カブに乗ったお父さんが

喧嘩をなだめに来ました。

 

私が泣きながら家を飛び出し焼き鳥屋へ行くと

何も言わず、お母さんが店の奥に私を座らせ

「どのおにぎりがいい?」と

こんぶやたらこのおにぎりを握り

ポテトやつくねを少しだけ食べさせてくれた。

 

家に帰るとお姉ちゃんがいるので

口をへの字になっていく私と手を繋ぎ

家に着くと

お姉ちゃんやお兄ちゃんにも声を掛け、

また店に戻りました。

 

私はぎゃーぎゃー泣いて、

そのまま寝たりしていた。

 

 

3つ上のお兄ちゃんも時々喧嘩した。

でも、すぐ笑わせてくれたり

ラジオをつけて面白い番組を聴かせてくれた。

今も、優しい。

 

お姉ちゃんは、今は、大の仲良し。

遠くにいるけれど、

何かあると助け合えるきょうだい。

 

 

お母さんは、厳しいお父さんとはお見合い。

お正月が過ぎた頃、初めて逢った日が結納で

たぶん、その10日後くらいに

お父さんと結婚式を挙げて新婚旅行をし

結婚式の一週間後に焼き鳥屋を開店、

板前さんとして働き始めた女です。

10月にはお姉ちゃんが生まれました。

 

すごいしか、言えない。

 

その後も、あまり文句も言わず

まあ、お母さんが鬼になった時は

それはそれでホラーでしたが、

できるだけ私たちきょうだいの帰宅を待ち

あれこれ世話を焼いた後にいってきますをして

膝に水が溜まっているのに、

笑顔で毎日店に立ち続けました。

 

日曜日は、買い物がてら

私をあちこちに連れて行ってくれた。

サンリオショップに行きたい、とせがめば

茗荷谷までバスに乗って

いちご新聞や風の子さっちゃんのノートなどを

時々、買ってくれた。

 

お母さんの機嫌がいいと

ジュースも飲ませてくれた。

 

そんなお母さんが、いつだったか

ある日、ぽつりと言いました。

 

 

「お母さんね、お父さんに会ったら

そこでもう結婚が決まっててね。

それよりもね、ひどいのよ。

最初の見た目でね、

お父さんは銀行員だと思ってたの。

なのに、焼き鳥屋だったなんて、

お母さんすごくびっくりしちゃった!

お店をやるとか知らなかったわ!」

 

 

 

うわぁ。